本音なんて誰にも話せやしない

月に1、2回実家に帰るのだけれど、わたしは親に自分の本心を何ひとつ伝えられてないな、と感じる。

 

 

父親に「仕事は慣れた?」と聞かれた

わたしはブログに書いていることをそのまま矢継ぎ早に言い連ねてしまいたかったけれど、できなかった。

 

ここで「仕事辛くない?」と聞かれていたら、わたしは号泣しながらここで書き殴っていることを垂れ流していただろう。でも、そうはならなかった。父親として娘の仕事に対してネガティブな言葉をかけないだろうし、父親はわたしが日々負の感情を抱いて働いているなんて知る由もないのだから。

 

それに、わたしが感情を爆発させたとして父親がわたしにできることはなくて、結局自己満足で終わってしまうのである。

 

母親との会話は上の空

わたしは母親と仲が良かったことがなくて、母親に対して「なんでそんなことを人に言ってしまうのだろう」と思うことがこれまでに数え切れないくらいあった。なので母親と分かり合おうと努力したこともあったがわたしの親への反抗心やらプライドもあってそれは叶わず、分かり合うのは無理なのだと気付いたのは本当に真理だと思う。

 

そういうこともあり、わたしと母親には溝がある。わたしが仕事を辞めるつもりでいることを言ったら賛成も反対もせず、良くも悪くもわたしに一任するのだろう。しかし、わたしからその話題を切り出すことはできない。言ったところで、というひねくれた気持ちと期待のなさが先行してしまうからである。

 

こうして書くと、家族ってなんなんだろうとつくづく思う。しかしこれは家族というカテゴリーに限らず、友人や知人、恋人にも言えることである。

 

人生を楽しいと思って生きてきたことがない

ただ単にわたしが人付き合いが下手なだけなのかもしれないし、自分の感情をコントロールできていないだけなのかもしれない。楽しくないから、面白くないからとストレスの原因を仕事や会社に押し付けて、逃げたいだけなのかもしれない。自分で作り上げたストレスから逃げたいから理由をつけて仕事を辞めたくて、それを第三者に肯定してもらいたいだけなのかもしれない。

 

結局、わたしは誰かに物理的に救ってもらえるのを期待しているのだろう。でもそんなのはせいぜい子どもの内だけで、アラサーにもなり、進んで孤独になろうとしているわたしにはありえない話なわけで。

 

生まれ変わらない限りこのままなんだろうな、と思いながらわたしは明日も生の無駄遣いをするのだろう。それって、すごい贅沢だな。

スポンサーリンク