自分の過去を知っている人のいない土地へ

他県移住を思いついてからというもの、ちょっとその気になっている。

 

夢も希望もない大人

わたしはこれまでの人生でこうなりたいという希望がほとんどないままアラサーになり、この先も夢のある展望を持てる自信がない。

 

すっかりと無気力になっているアラサーのわたしではあるが、さすがに昔はここまでひどくはなかった。若かりし小学、中学生の頃は憧れる職業があったし、夜通し趣味に没頭していたこともあった。しかし当時の気持ちは今は残っておらず、やる気も闘争心も今は見る影もない。こうなった原因が環境のせいだとは思わないが、慣れ親しんだ土地を離れるのも刺激的で悪くないと思う。

 

わたしは家族や友人、地元や学校といったこれまで関わった事物に未練が少ない。地元を出歩いていたら同級生や知った顔の人にできれば遇いたくないし、母校に思い出なんてない。なにせわたしは学校が好きではなかったから。

 

現実逃避をしたいだけなのかもしれない

そんなことを考えながら、わたしはただ単純に一人ぼっちになりたくて、現実を見たくないだけなのかもしれないと思った。

 

これまで今の土地で生きてきて、たくさん傷付いたし傷付けたし、たくさん恥をかいてきた。喜びや幸せといった感情もあったのだろうけれど記憶には残っておらず、わたしは居場所を作れず、自ら一人になろうとしている。

 

それをわたしが望んでいて、自分の作った道ならもう受け入れるしかない。他人にわたしは変えられないし、わたしは自分で自分を守らなくてはいけない。その結果、今のわたしを動かそうとしているものが現実逃避で、この土地を離れるということならば、それはそれでいいのかもしれない。

会社は辞めたいけど入社を後悔していない

今の会社に入ってもうすぐ3カ月になるが、日夜辞めることを考えているわたし。しかし入社したことを悔やんだことはない。

 

嫌なことが明確になった

前の会社に在職中は仕事に対して自分が何を求めていて、何に抵抗があるのかさっぱりつかめず、方向性の定まらないまま転職活動をしていた。なんとなく給料が安いから嫌、なんとなく接客が面白くなくなったから嫌、働くことが好きじゃないから嫌。その程度の浅い考えしかなかった。

 

今の会社は前の会社より労働時間が長く、休憩と休日が少ない。残業代も出ない。毎月の給与は少し上がるけれど賞与が下がるから年収は変わらない。この会社しか知らない人たちばかりだからか、考え方や勢いが妄信的でちょっと怖い。

 

そんな感じで、転職してから自分の拒否アンテナに敏感になった気がする。

 

前の会社を辞めなければよかったとは一切思っていない

条件だけ見れば前の会社は確かによかった。嫌なことはもちろんあったが企業が大きいだけあって教育も福利厚生もしっかりしていた方だし、給料がきちんと毎年上がり、わたしのモチベーションが下がらなければまだ続けていただろう。

 

しかし給料は上がらなかったし、わたしのモチベーションは下がった。給料が上がらなかった理由として当時の上司には「ほっといてちゃんが入社した時期から業界全体が低迷していたし、ちょうど会社が業績不振だったから仕方ない」と言われた。

 

だからわたしが辞めるのも仕方なかったのである。

 

今の会社に入ったことを後悔していない

辞めることしか考えていない今の会社ではあるが、サラリーマンとして働くうえでわたしの方針が見えてきたように感じる。

 

  • 仕事とプライベートを分けたい
  • 収入がいいに越したことはないが、収入より自分の時間を優先→契約社員という手もあり
  • 土日休みじゃなくていいから休日は1日でも多く欲しい
  • どちらかというと中小企業より大企業で長い物に巻かれたい
  • 「現場で数字を取れ」と言われると拒否したくなる
  • 若い年代のスタッフばかりだと心もとない
  • 休憩時間(トイレ休憩含む)がきちんととれる

 

ざっくりとこれだけ思いついたが、いずれにしてもそれらを要求するだけの能力は必要で、今のわたしにそれがあるかといったらないのだろう。自分の価値を高めることの大切さを痛感する。

 

とりあえず前回の転職活動中にお世話になった転職エージェントの人に連絡をとったり、自分でハローワークの求人をさがしてみようと思う。

サービスは無限じゃなく有限である

わたし自身がサービスを提供している側だからということもあるが、わたしはどこに行ってもサービスを過剰に期待しない。そもそもサービスを『してもらう』という目線を持たないようにしている。

 

あくまでわたしと店員さんは対等で、わたしは支払いをするから店員さんは商品やサービスをわたしに提供する。それだけの関係。

 

そりゃあぞんざいに扱われたらいい気はしないし、腹が立つかもしれないが、そしたら店員や店を変えればいいだけの話。これだけ物も店も飽和している日本で、そこだけに依存する理由はないだろう。

 

サービスしてもらって当たり前だと思っている人が多すぎる

お金を払っているのだから当たり前だと言う人もいるだろうが、紙幣価値なんてその人の年収や価値観によって違う。また、その考えによってサービスへの期待が上がると、実際のサービスが期待を下回ったら不満となり、クレームに繋がるだろう。

 

そうなると時間と体力を使うし、店側もクレーム対応に追われた分の仕事ができなくなるし、何より疲れる。両者にとってメリットがない場合が多い。

 

サービスする側も人間なのだから当然ミスをする。数え間違い、渡し間違い、言い間違い。いずれにしてもしたことがない人なんてこの世にいないだろう。仕事としている以上、ミスを減らす努力や工夫はするべきだと思うが、100%防ぐことは無理である。中には店員がミスするのを虎視眈々と待ち構えている人もいるが、当然こういった人物は店側にはブラックリストとして登録されている。

 

だからわたしは期待しない

人はわたしのことを優しいと言うけれど、そんなことはない。それはわたしの上辺でしかない。本当に優しければその人にとって成長や改善に繋がる進言をするだろう。

 

だから時間と労力を割いて文句を言うクレーマーは本来貴重だし、愉快犯はともかく筋の通っているクレーマーに関してはめんどくさい、と切り捨ててはいけないのである。

 

しかしわたしはそんなことはしない。それがその人の仕事のレベルで、その人がわたしにふさわしいと思ってした対応なのだと受け取る。もし不快に思えば当然そこには足を運ばなくなるが、そもそも期待していないのでそうなることはあまりない。

 

どれが正しいかはわからないが、わたしは相手に期待しないから相手もわたしに期待しないでほしい。おそらく、基をたどれば自信のなさの現れなのだろう。でも、店員と客の立場は対等で、どちらかが一方的に過剰な対応を要求するのはなんか違うよな、という気持ちはずっと変わらないだろう。

終わりがあるから耐えられるのに、終わりが見えない

わたしがこれから先の人生に希望を持てていない理由のひとつに、先が長すぎるというのがあると思う。
 
 

アラサー独身女の幸せとは

わたしは無趣味で、休みが少ないし労働が嫌いだから仕事も楽しくないし、とにかく何かに打ち込んでいると言えることがない。友人も少なく恋人もいない。貯金は100万程度あるが、ずっと正社員でいたことを考えると少ない。その代わりに借金はない。
 
ぼちぼちとオーネットの婚活を再開してみたが、完全に暇つぶしとなっており、これは遠からず終焉を迎えるだろう。結婚や出産に対する意欲が底辺にまで来ているからである。
 
パートナーは欲しいとは思うが、結婚したいとか子育てをしたいという願望が今は極端にない。それより優先すべきなのは自分自身を幸せに、楽しく過ごせるようにすることだと思う。そうじゃなければ旦那になる相手や子どもに失礼だし、無責任だろう。
 
そんなのそういう立場に立ってみないとわからないかもしれないが、とにかく現在のわたしでは結婚も出産もする資格がないと思っている。
 

なぜこんなに人生に悲観的なのか

学生時代なら週末の休日の他に夏休み、冬休み、春休みと長期休暇があった。だから途中嫌になったときもあったけれど卒業まで至れたし、若かったからまだ気力もあった。
 
しかし学生でなくなってからは一日の拘束時間は長いし、ろくに休みはないし、長期休暇なんてもちろんない。なのに周りからは「若いのにもっと遊ばないの?」だの「結婚の予定は?」だの悪意のない圧迫を押し付けられる。普通の人にはこなせるタスクなのかもしれないが、陰キャで時間に余裕がないとすべてのやる気がそがれるわたしには荷が重い。
 
そして望んでいないのにどんどん伸びていく平均寿命。自分がそれにぴったり当てはまるわけではないが、街中を見れば提示される数字に嘘偽りがないことはわかる。
 
今のわたしで、どうして人生を楽観的に見れるだろうか。じゃあ楽しめばいいじゃないか、趣味を見つければいいじゃないかという真っ当な意見も今は耳に入らない。それくらいにわたしは無気力なのである。
 

前向きじゃなくてもいいから生きていくために

じゃあどうすればいいのか。もうわたしは短命であると思いこみ、そのつもりで生きていった方がいいのではないだろうか。それだったらまだ明るく物事をとらえられる気がする。終わりが見えないからわたしは鬱々としてしまうのである。
 
現在のわたしのやる気が低迷している主な原因は仕事にあると思う。労働時間、残業代が出ない、有休がとれないことを含めた休日日数、会社の方針など。しかし不満が具体的であることは、次さがすときに不満のもとを避けることができるので、悪いことばかりではない。
 
人生順風満帆に、イージーモードで生きてみたかった、と思うけれどまだまだ先は長い。命を絶つという選択肢はまだないので、これからもだましだまし生きていこうと思う。なにかいいことがあったらラッキーということで、わたしはまた朝を迎えるのだろう。

誰かのために働いているわけじゃない

わたしはこれまでの仕事や現職でも「お客様のために」や「お客様に喜んで頂くのを最優先に」などと上司や会社に言われると思いっきり白けていた。いやいや、他人や会社より自分が大事だから自分の気持ちを優先します、と反骨精神が露わになるのである。

 

報道や一般論による根深い思い込み 

しかし、わたしはそういった自分の考えに、わずかながら背徳感があった。日本のサービス、接客業界では『お客様第一主義』が美徳で、それを掲げる企業こそが多くの利益を上げているようにメディアで報道され、見聞きしていたので「誰かのためにと思えない自分はおかしいのだろう」と感じていたのである。

 

腑に落ちたことは受け入れられる

そんなわたしが「いや、やっぱり自分の気持ちを信じることが大事だ」とごく自然に思えるようになったのは最近だ。一日や二日でそう思えるようになったのではなく、自分の感情に素直になろうと意識し始めてから少しづつ成果が出てきた。

 

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現在は「気持ちが伴っていなくてもできるから」という理由だけで接客業に就いているが、次は気持ちが伴う仕事を選びたいと考えている。

 

今まで接客しかほぼやってこなかったのに、他のことなんてできるのだろうか。世の中を甘く見過ぎではないだろうか。そんなマイナスな考えが頭をよぎるときもあるけれど、元来わたしはネガティブだし、逃げ癖ならもうとっくについているし、それでも特に問題なく過ごしてきた。

 

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なにより、わたしは逃げることで確かに楽になった。それはとても有意義だし、人生の幸福度に繋がっているのだろう。

 

だからわたしはこれからも自分の気持ちに極端に反する仕事はしないし、嫌なことからは積極的に逃げる。わたしは誰かのために生きているのではなく、自分のために生きているのである。

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